昨日は午前と午後那覇でプレゼンがあったため、その空き時間を利用して、沖縄県立美術館で開催されている田中一村展に行ってきた。
ずっと行きたかったのになかなか、美術館に行く機会が無く、会期ぎりぎりで何とか見ることが出来ました。
深川を離れるときに、深川の友人が、娘さんのお気に入りだった田中一村の画集を餞別にくれた。そんなエピソードもある一村。まぁ、本人に知るよしもないけれど。
11歳の時に描いた驚きのハマグリの絵から、晩年の南の島の作品まで、一村の生涯を表しているかのような展示内容には感服しました。
一村は生涯描きたいものだけを描き続けた作家ということが、今回の展覧会で知ることが出来た。生前一村を認める人は少なかったが、彼はそこを求めていなかったということもあり、絵を描くための費用を紬工場で働きながら貯めて、最後のシリーズを描き上げてその生涯を遂げた。
奄美大島へ移住したあとの作品は今までの作風とがらっと変わり、南国の香りが広がっていて、ダイナミックで、でも繊細で、アダンやソテツ、へごなど見事な表現で、どことなくゴーギャンのタヒチを思い浮かばせるような作風だった。
一村と言えば日本画のイメージが強かったけれど、この作品や、写生を極めるために撮り始めた一村の写真もまた見事だった。写真の事はよくわからないけれど、写真を撮る眼を持っているかどうかはすぐわかる。アングルや構図がもう一般の人の構図と全く違う。
そういう人が撮る写真はカメラの種類など関係なくどんなカメラを使っても表現できる稀な人である。
一村もその眼を持っていたのを今回の展示で知りとても感銘しました。
先日唐松照明の展示でも感じたことですが、展示の順序、配置、最後の出口の手前の壁一面に書かれている作者の言葉など、とにかく全てが調和されている。
きっとキュレーターがすごいんだろうな。
一村は描きたいものだけを描き続けてきたからしあわせだと、それが経済に置き換えられることなく自分の人生を全うできたことを誇りではなく、心底幸福感を味わっていたようだった。
その言葉を読んで、涙が流れてきた。
経済や社会に認められる事に興味を持たせるように教育を受けてきた私ですが、どこかそこの部分に違和感をずっと感じ続けて
「ふつう」
ということに居心地の良さを感じることが無いまま大人になってしまったわたしにとっては、
この一村の言葉がとても心に残るものとなりました。
そんな帰り道に宜野湾で手に取ったTRANSITの中で、コルビュジェの言葉を見てさらに、今日は啓示が多い日だなと思うこととなりました。
コルビュジェが亡くなる1ヶ月前に書かれた文章から。
昔、ピカソの展覧会を見てきたモーリス・ジャールとの会話。ピカソの展覧会の感想をピカソから聞かれたときに
モーリスが銅片等したかを話す前にコルビュジェが先回りして答えた言葉。
君が
「いいえ、展覧会はあまりうまくいきませんでした」
と答えなのなら、ピカソは君に、
「どっちだって構いはしないさ。どっちみち俺が正しいのだから。人の意見なんて俺には関係ない」
と言っただろう。
作品を見いだすものとしてかかりがちな罠から救われる一言ですね。
それは子育てでも同じだと思います。
周りの目を気にしながら、自分に負荷をかけながら子育てをすることは
私には難しい
自分勝手かもしれないけれど、自分の欲望ではなく、子どもの未来に徹していれば
周りの目や社会とか、経済とか不必要にとらわれることはないのでは
そう感じた一日でした。
とても見応えある展示です。まだご覧になられていない方は是非GW日曜日までの開催となります。同時に森山大道の写真展も開催していますが、一村でお腹がいっぱいになって、堪能しきれませんでした・・・
これも5月6日まで。
新都心 沖縄県立美術館にて
特殊ゼオライトと沖縄の海の贈り物で子供たちに食の安全を♪
クリーンコーラルはこちらから。
また、毎週土曜日無農薬野菜とオーガニックフードを那覇にて販売されています。お近くの方は是非。
毎週土曜日 午前10時~12時半頃まで
場所:那覇市西1-17-15大城てんぷら店前
沖縄安心野菜便いつでもご連絡ください!
お申し込みはこちらまで
info@monobox.jp